日々の欠片

本当にただの日記帖

2017.5.17 wed

最近は、朝6時過ぎになると自然と目が覚める。身体も春仕様に追いついてきたのかな、と思う。

 

大体は、目覚まし時計が鳴るまでの20分程の間、布団に入ったままスマホをいじる(朝のこの時間には専らInstagramをぼんやりと眺める)。それから起き上がって、隣の部屋で眠る家族を起こすのだ。

 

あんなに朝が苦手だったわたしが、誰かを起こす側に回るだなんて、あの頃のわたしに想像できるだろうか。夜更かしばかりしていたわたしが、日が変わる前23時には眠ってしまうだなんて、信じられる?

 

 

 

土鍋でお米を炊いている間、高山なおみの『日々ごはん』を読む。隣のコンロで鶏の手羽元のコーラ煮を煮込みながら。

 

この『日々ごはん』、何故か5巻だけがずっと手元にあり、何度となく読んでいたのだが(エッセイというよりも限りなく日記を覗き見ている感覚に近く、すぅーっと自然に読めてしまう)、つい最近思い立って1〜4巻をまとめて手に入れたのだ。

 

昔から、何故か『となりのトトロ』のカラー版漫画の1冊だけだったり、『少年アシベ』の1冊だけだったり、『きんぎょ注意報』の4巻だけを持っていたりしたな。

たしか、きん注は予防注射のご褒美に買ってもらったんだ。妹はお菓子を買ってもらっていた。今思えば、あの頃からわたしたちは各々の道を歩き出していたのだなあ。大きくなって、わたしは文学部へ、妹は調理科へと進んだのだ。

 

娘が2歳くらいの時のことだったろうか、わたしの保育園時代からの友人の実家で、お泊まり会をした。その友人とわたしは誕生日が僅か2日違い、娘と友人の息子も2週間違いの同級生なのだ。

友人の母親は元保育士で、子どもの楽しませ方がとても上手い。その日も、ポップコーンを用意してくれていて、子ども達に見えるようにパチパチ膨らませてくれたのだが、絵本に夢中になっていた娘はあまり食い付かず…。

わたしは「ええー!?」という感じだったのが、友人とその母は「あんたのちいさい時そっくりだよ!」と笑っていた。

 

娘はどんな人生を歩んでいくのだろう。

不器用でもいい(今のところわたしよりもずっと器用だが)、しあわせに、笑っていてくれさえいれば親はしあわせなんだ。

亡くなってしまった母も、同じように思っていてくれたのかな。きっとそうだったと思うんだ。