日々の欠片

本当にただの日記帖

2017.5.18 thu 02---寝顔

太陽が照りつけ(スーパーからの帰り道にはとうとうTシャツ1枚になってしまった。今年の半袖解禁日。)、このまますっかり気持ちのいいお天気のまま夜を迎えるのかと思った午前中。

昼過ぎから急激に天候が悪化。それはもう絵に描いたような崩れ方で、冷たい風が吹き始めたかと思うと、みるみるうちに辺りが暗くなり、雷が鳴り出した。

雷鳴が1時間ほど続いた辺りで娘の下校時間が迫ってきた為、迎えに行くべきか否か悩み始める。こんな雷の中歩くのは大人のわたしだって嫌だ。でも、違うルートから帰ってきてすれ違いになるのも避けたい。どうしようかな。

 

程なくして、友達から電話が入る。電話を受けたと同時に雨が降り始め、みるみるうちに激しさを増してゆく。車で一緒に連れて帰ってきてくれることになり、ひと安心したものの、バケツをひっくり返したような雨ってこういうものを指すのだなあと感心してしまうほどの酷い雨で、なんだか笑えてきた。

外に出て、友達の車を待ち受ける。急遽、児童引き渡しになっていたらしく、本人の親が迎えに来ないと帰れない〜というようなことを言われたらしい。そんな連絡来てないよねえ?ねえ、って話しつつ別れた(帰宅した頃に連絡メールが届いたのだった。遅いよ…。)。

 

小学生になって子どもだけで遊びに出掛けるようになった為、なかなか娘とゆっくり過ごすことがなくなったのだが、今日は久しぶりにゆっくりと一緒に過ごせた。特に何をしたわけでもないけれど、同じ空間でお互いにゆったりした気持ちで過ごすという時間もたまには良いなあと思ったのだった。

 

あどけない娘の寝顔を見ながら、ハッとする。随分成長したと思っていたが、まだまだ幼い子どもじゃないか!と。丸くてちいさな顔に、長い睫毛、ふっくらとしたほっぺた、赤ちゃんの頃から変わらない尖った唇のかたち、布団からはみ出たちいさな手。不意に抱きしめたい衝動に駆られる(起こしちゃうからグッと我慢して、頭を撫でる程度にとどめる)。このかわいい人間と過ごせる一時一時をもっとたいせつにしなければ。毎日当たり前のように親と過ごせる時間なんてあっという間なんだから。

2017.5.18 thu

カーテンを開けると、久しぶりの青空。それだけで心が躍る。

 

しかしながら、娘のマイペースが止まらず、朝から苛々。わたしが苛々しても何も変わらないということはわかっているのだが、一緒に通学する友達を待たせてしまうのでは…と気持ちが焦ってしまうのだ。昨日から言ってたのに…等と思い始めてしまうともうダメで、苛々が止まらなくなる。

わたしの幼い頃の記憶の中の「朝の母親」も、大体は家族を怒っている・急かしている。きっと同じ気分だったんだろうな。今になってすごくお気持ちわかります。お母さんごめんなさい。

 

自分の考え、自分のやり方、自分のタイミング、自分のペース…色々持っているのはわかるが、他人に迷惑を掛ける可能性がある場合には、自分が折れるということを覚えて欲しい。そしてわたしは、やさしくなりたい。

2017.5.17 wed

最近は、朝6時過ぎになると自然と目が覚める。身体も春仕様に追いついてきたのかな、と思う。

 

大体は、目覚まし時計が鳴るまでの20分程の間、布団に入ったままスマホをいじる(朝のこの時間には専らInstagramをぼんやりと眺める)。それから起き上がって、隣の部屋で眠る家族を起こすのだ。

 

あんなに朝が苦手だったわたしが、誰かを起こす側に回るだなんて、あの頃のわたしに想像できるだろうか。夜更かしばかりしていたわたしが、日が変わる前23時には眠ってしまうだなんて、信じられる?

 

 

 

土鍋でお米を炊いている間、高山なおみの『日々ごはん』を読む。隣のコンロで鶏の手羽元のコーラ煮を煮込みながら。

 

この『日々ごはん』、何故か5巻だけがずっと手元にあり、何度となく読んでいたのだが(エッセイというよりも限りなく日記を覗き見ている感覚に近く、すぅーっと自然に読めてしまう)、つい最近思い立って1〜4巻をまとめて手に入れたのだ。

 

昔から、何故か『となりのトトロ』のカラー版漫画の1冊だけだったり、『少年アシベ』の1冊だけだったり、『きんぎょ注意報』の4巻だけを持っていたりしたな。

たしか、きん注は予防注射のご褒美に買ってもらったんだ。妹はお菓子を買ってもらっていた。今思えば、あの頃からわたしたちは各々の道を歩き出していたのだなあ。大きくなって、わたしは文学部へ、妹は調理科へと進んだのだ。

 

娘が2歳くらいの時のことだったろうか、わたしの保育園時代からの友人の実家で、お泊まり会をした。その友人とわたしは誕生日が僅か2日違い、娘と友人の息子も2週間違いの同級生なのだ。

友人の母親は元保育士で、子どもの楽しませ方がとても上手い。その日も、ポップコーンを用意してくれていて、子ども達に見えるようにパチパチ膨らませてくれたのだが、絵本に夢中になっていた娘はあまり食い付かず…。

わたしは「ええー!?」という感じだったのが、友人とその母は「あんたのちいさい時そっくりだよ!」と笑っていた。

 

娘はどんな人生を歩んでいくのだろう。

不器用でもいい(今のところわたしよりもずっと器用だが)、しあわせに、笑っていてくれさえいれば親はしあわせなんだ。

亡くなってしまった母も、同じように思っていてくれたのかな。きっとそうだったと思うんだ。

2017.5.16 tue 02---日常

今ある日常は、永遠には続かない。

 

あの頃の日常、退屈に感じることさえあった、なんでもない日常を恋しく思う日が来たように、今ある日常を恋しいと感じる日がいつか来るのだろう。

 

日常は日々の積み重ね。

一日一日をたいせつに生きる。

2017.5.16 tue

曇り空が続いている。

洗濯したいものはたくさんあるのだが、思いきり洗濯できないもどかしさ。

 

少ない服を着回してお洒落をたのしむ人に憧れるのだが、ついつい増やしてしまう(お金も無いのに)。

たくさんあっても、全てを大切にはしきれない。数ありゃ良いってものではないのだ。人とも物とも、ひとつひとつに愛着を持って、ひとつひとつと密に付き合っていきたい。

 

わたしは娘に何か残せるかな?わたしは祖父母からも、両親からも、いくつものお下がりを貰った。学生の頃から古着(服に限らず、ファッション雑貨や雑貨、ボタンやなんかのパーツなんかも)が好きで、未だに買ったりする。

長い年月を経ても輝き続けるもの、世代を超えて受け継がれてゆくもの。これからは少し意識してみようかな。

 

本当に大切なものなんて、そんなにたくさん無いのだろう。最近よく思うんだ。

だから、この手にあるものにはありったけの愛情をかけて大切にしたい。

2017.5.15 mon

何か新しいことを始めたくて。ひとは、結局は原点に返るのかもしれないな。

 

夜、洗面台の電球2つのうち1つが切れた。

娘は「薄暗いよ。明日電球買おっか。」と言ったが、わたしはこのくらいが心地好いように感じた。そして、不意に、子どもの頃に友達の家にお泊まりした時のことを思い出した。自宅ではない、マンションの洗面所の明るさ。あたたかいオレンジ色、だけど、なんとなく薄暗い白熱灯の灯り。風呂上がりの湿気と温もりの残った空間で、歯を磨いているわたしは、楽しさと同時に僅かな心細さを感じていた。

 

ここは紛うことなき「自宅」なのだが、自宅では無いような錯覚。こんな電球1つの明るさの違いが、遠い記憶を呼び起こすだなんて、人間というものは存外繊細なんだな。